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by radius-kenji

リセットかけるぞ。

いやぁスパイラルです。
学びとは本当にすごいと思う。
自覚があろうと無かろうと目をそむけたり、学びきれていないと
イクラでも、何回でも廻ってくる。
廻ってくると書くと先様より勝手にやって来るように
思うけれども、いやいやなんのなんの。
自分で創り上げてるのよね。
結局の所、過去も今も未来も。
その時に基盤が出来てる訳で。
その基盤がずれていたら、その先に積んで行く物が
ドンドン斜めになって行く。
傾き切れなくなると崩壊。
その崩壊を恐れて、今度は逆サイドに積んで行かなければならなくなる。



色々頭の中を廻っては、通り抜けていく感じのこの一ヶ月。
この一年、本当にいろんな事があった。






色々ありすぎて何から書けば良いのか解らないので割愛(笑
ともあれ、結果として僕に足らない物は

「感謝する事」

なのでは無いかと。
「ありがとう」「感謝している」
口ではなんとでも言える。

「僕自身、そう言えば良いだろう」
「そう言えば伝わるだろう」

と思っていたのかも知れない。
そしてもう一つ。僕に徹底的に無いものは「動」。
この辺はマップちゃんを見習いたい(笑)

本当に感謝しているのならば「動」に変わるはずだ。
プレゼントを用意するとかそういうたぐいの「動」ではなく。
自分の行動や相手に対して何か「動」と言うものがあると思う。
例えば行動が変わってくる。しかもそれはハートから湧き上がるように
極々自然な行動として。

それを意識してやると感謝していると思わせたいだけの行動になっちゃうのよね。
相手に求めるのも同じこと。

「感謝しているならば、こうするだろう」とか
「愛しているならば、こうはしないだろう」とかね。

素直に感謝している事を認められない原因には
[傲慢さ]がある。
【僕はこれだけ家族の事を考えて我慢している。】
的な。

金銭的な面で特に。
使う事だけではなく、収入に関しても。
いま、結構自分的には命一杯働いている。
けれどこの根底にあるものは
【僕はこれだけ我慢して働いている】
的な思考が在るのかもしれない。
それを見せ付けたいのかもしれない。

借金の返済もあり僕だけの収入では生活がままならないのが現状で
どうしても久美さんには働いて貰わないといけないと言う現実の中で
一昨年同居を始める前から、久美さんはうつ病と闘っていた。
同居をする時に現状を話し、直ぐにではないけれど
少し働いて貰わないといけないと言う事を伝えた。

その時は自己探求もしらず、本当の愛も知らずだったけれど
ただただその時の僕の精一杯で彼女を愛していたし
それは今も変わらない。

そんな生活の中で彼女は自己探求をしながら自分を癒し
去年の10月から薬も飲まずに普通に生活もするようになった。

僕の一番身近な奇跡でもある。

名医にあたった訳でもなく、画期的な薬が開発された訳でもなく。
ただただ自分を見つめ変わって行く事で彼女はうつ病から脱出した。

彼女の笑顔は素敵で、僕も嬉しくなる。

そんな中で僕は彼女に感謝をしていただろうか。
自己探求で奇跡が起こった事を目の前で見せてくれた彼女に。

その間、彼女は仕事をしていなかったので
生活はとても苦しい事が多かった。
その中で僕はあれこれと先の不安を引っ張り出しては
怯えていた。素直に彼女の奇跡を喜べなかった。

その不安も怖れも誰に話して良いのかも解らずに。
全てが摩り替って行ったんだなと今さらながらに思う。
自分の抱えていた不安が全て自分で引き寄せていたと言う事
その不安を久美さんに少なからず押し付けていたと言う事

エネルギーに敏感な彼女はそれに気が付いていたのかもしれない。

先月、探求サポをdozenにお願いして
僕ら夫婦に言われた言葉は、
【お互いを親にしない事】
僕は
【相手に依存させない事】
だった。

このお互いを親にしない事と言うのは
自分のインチャから来るもので。
色々考えたのだけど
自分が親にしていた事を
そのまま久美さんにしているのだろうと思っていた。

で、僕が親にしていた事とはなんだろう?と考えたのだが。
以前の記事にも書いたのだけれど
僕の親は病気で寝ている事が多かったので
僕はいつもいつも心配ばかりしていた。

確かに今も心配ばかりしている。久美さんに対して。
それは裏を返せば信用していないと言う事にもなるのでは無いか。

僕は優しい言葉をかけているつもりでも
実際彼女にとっては彼女自身が自分を信用できなくなるような
呪文になっていたのではないだろうか?

例えば子供が何か新しい事にチャレンジしようとした時
そばに居る親が、子供にとっては信頼しきっているその親が
さも心配そうに子供を見詰めていたり、大丈夫?と何度も何度も子供に
聞いたのならば、子供はそのチャレンジを恐れる事になるだろう。
そしてチャレンジする事自体を怖れるようになるだろう。

それを僕は久美さんにしていたのかも知れない。

そして自分は心配をする事で自分のアイデンテティを保とうとしている。
相手に頼られる事で自分の存在意義を見出そうとしていた。

でも・・…ふと今、疑問に思う。

妙な言い回しだけれども、母は僕が病気にした訳ではない。
っと言う事は病気になる母を選んで僕が産まれてきたと言う事だ。
と言う事は前世からの持ち越しなのかもしれないなぁ。

母が亡くなった後は歳の離れた姉が母代わりだった。
姉は、家事も適当にこなしてくれていた。

それまでは自分の事は自分でしていたし
夕飯の買い物も自分で行っていたし、
お風呂も自分で掃除したし。洗濯も。

母が亡くなったのは僕が19の時。

それ以降は姉が母代わりに色々身の回りの
事をやってくれるようになった。

それが当たり前の事のように思ってしまったんだな。
色々身の回りの事をしてくれて在り難かった反面
それが慣れなくて鬱陶しくもあった。
それぐらい自分で出来る。自分のペースで身の回りの事はやりたかった。
上手く受け取れなかったんだな。きっと。
とは言え、姉は母に依存していた部分が大きかった。
母が亡くなった後、自分がどうやって生きて行けば良いのか解らなかったと
数年前に聞いた。
姉は僕が小学生の頃結婚していた。
が、ゆえに僕が母の代わりに買い物やら洗濯やらを
していたのだけれど。
その離婚を決めたのも母だったらしい。
姉はどうして良いか解らなかったのを母にいつも相談していた。

そんな姉は僕を自分に依存させる事で自己を確立しようとしていたのかも知れない。

でも僕は甘える事に慣れていなかったので居心地が非常に悪かった。
きっとお互いに(笑)

でも甘えて良いのだろうか?と甘えてみると
姉のご所望する甘え方と違うらしく突っぱねられる。
どうもこの辺から僕の女の人に対する苦手意識が生まれた様でもある。


で気が付いた。
この幼少期から家族の中でしていた事を
久美さんと繰り返しているんだな。
びっくり。


この一連は何が原因で起こっているのだろうか?
僕がそうさせた訳では無い所も含めて。
その場に、その人生を生きていると言う事は
僕が選んで生まれて来ている訳だし。
全て僕が呼び寄せた事には間違いない。

徹底して自分を愛していない。
それに尽きるか。やっぱり。

他者に対する信頼も、自己信頼のなさから。
他者に対する不信感も自己不信から。
他者に愛を求めるのも、自己愛が無いから。

誰かを信頼する事を学ぶにはまず自分を信頼する事から。
他人を愛することを学ぶにはまず自分を愛する事から。

だよな。

では自分を愛する、信頼するってどういう事?なんだろうか。
いったい、何を自分にすればいいのさ?
この一年、自己探求続けて来て、今更だけれども
改めて思うんですよ。

自分を楽にする。楽しい事をする。許す。愛する。
言葉では解ってる。
でもそれは「動」と言う意味でいったいどれだけ
変わって来ただろう?かと。
どれだけ身近な久美さんに波及しただろう?かと。

結局そうやって外に結果を求めてるうちは
軸が自分に無いっと言う事なのだろうけれども。

それとも3次元的な視点で考えているから駄目なのかな。
それとも考える事自体が不毛なのか?

本当の意味で自分を愛する事って言うのは
僕にとっては、とても難しい事のようだ。
なにせ自分に自分で罰を与えながら生きて来たようなものだし。

もう少し掘り下げが必要なのかな。
自分に問う事が。

きっちりリセットして行こう。
by radius-kenji | 2007-04-20 03:32 | パートナーシップ